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TOKYO - SAGA KENJINKAI
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佐賀市呉服元町の656広場が日常的に活用できる空間に生まれ変わり、オープニングセレモニーが開かれた。
リニューアルは佐賀市いこいの空間整備事業として、県の補助を受けて実施した。「街なかおそとリビング」をコンセプトに、イベント以外でも立ち寄りやすいようにテーブル、椅子などの休憩施設のほか、無料Wi−Fiや携帯電話の充電スポットを設置した。
ステージは床やバックパネルに杉を使用し、柔らかな雰囲気に仕上げたほか、簡単に操作できる音響設備を常設し、使い勝手を向上させた。ハンギングチェアやハンモックもあり、軽食を販売するブースを常設して〝くつろぎの空間〟を演出している。
(佐賀新聞HP2月11日)
唐津市出身の大学生が暮す川崎市の学生寮「久敬社塾」は、今春から出身地の条件を撤廃し広く寮生を受け入れることを決めた。唐津出身者が支え137年間の伝統を築いてきた寮だが、近年の入寮者減少で、今後の運営が困難と判断した。寮監の加登紀一さんは「これからは縁のなかった学生が『唐津に住みたい』と思ってくれるような、唐津の玄関の役割を担っていきたい」と前を向く。
久敬社塾は1878(明治11)年、唐津出身者の寄宿舎として発足し、その後自治寮として学生を受け入れてきた。近年の入寮者は2011年の12人をピークに年々減少し、14年は1人、15年は6人に増えたものの、現在暮す学生は12人で、定員38人の3分の1にとどまっている。
背景には首都圏の大学を進学先に選ぶ学生の少なさがある。文科省によると、15年に佐賀県から関東へ進学した高校生は10年前に比べ83人少ない453人で九州内で最も少ない。
経営上も寮生確保は課題だ。寮費が主な財源だが、「学生寮の強みである〝安さ〟を維持するため、寮費を上げることはできない」という悩みも。
加登さんは「出身地を問わなくなっても、唐津人の寮という伝統は残す。門戸を広げる中で久敬社塾の知名度が高まり、唐津の学生も増えれば」と期待する。
(佐賀新聞HP2月13日)
サガン鳥栖2016年新体制発表記者会見が、ベストアメニティスタジアムで行われました。
記者会見には、今季からサガン鳥栖の指揮を執るマッシモ・フィッカデンティ監督や新加入選手らが出席。フィッカデンティ新監督は「攻撃的にリズムのある戦いをするようなチームを作っていきたい。ディフェンスをしっかりと作り上げて、全てのスペースがカバーされて、コンパクトに一つのチームとして全部が連動するような戦い方をしていきたい」と今季への抱負を述べました。
1月20日には市役所でホームタウン激励式が行われ、サガン鳥栖の選手らが出席しました。選手を代表して池田圭選手は「トレーニングをしっかり積んで、鳥栖市にサガン鳥栖があってよかったと思ってもらえるようなプレーをスタジアムで見せられるよう頑張りたいと」と挨拶し、フィッカデンティ監督は「ホームタウンが熱い情熱を持っているまちで心強く思っている。しっかりと結果を出して皆さんをたのしませたい」と話しました。
(市報とす3月号)
江戸時代の多久では、武士、町人、農民を問わず領民の心はひどく荒んでいたといわれます。そこで領民たちの心を改めるためには「教育」が必要だと考えた多久四代領主多久茂文公は、身分を問わず学ぶことができる学問所(後の東原庠舎)を創設しました。
さらに、学問の象徴として孔子を祀る多久聖廟を創立。多久聖廟は全国の孔子廟の中で最も壮麗といわれていますが、そこは茂文公の隠された意図が込められていました。なぜ聖廟があるのか、なぜ壮麗なのか、孔子様とは?…と、訪れる人にあえて疑問を抱かせることで「敬の心」が伝わるようにと考えたのです。「廟舎を視ればすなわち敬を思う」ように、聖廟を拝むだけで自然に孔子の教えの基本が身に付くことを願っていました。茂文公が一番伝えたかったのは、儒学の思想ではなくや学問の難解な面ではなく、親を大切にし、人を敬い、礼儀をつくすという〝人として行うべき道〟。それを領民すべてが共有することで人のこころがよみがえり、やがて多久領がよみがえることを願っていたのでしょう。
多久聖廟が落成した宝永五年(1708)の8月14日、茂文公は、自らが献官となって釈菜を執り行いました。以来300年を超え、多久では春と秋の年2回にこの祭典が行われています。現在は市長(献官)をはじめ、市議会議長、教育長、各小中一貫校校長などが祭官となり孔子の遺徳を讃え拝礼と供物奉納を恭しく行います。そんな釈菜を通して、茂文公の願いや祈りは現代に生き続け、多久の誇りとして大切に伝承されているのです。
(市報たく3月号)
伊万里市出身の詩人で作家の片岡繁男さんの作詩集「伊万里はわが産土(うぶすな)」を、長男・英男さん=埼玉県狭山市=が出版した。伊万里市政25周年を記念した「交響詩・伊万里」や小中高校の校歌、合唱曲など、故郷への愛情がこもった作品を掲載し、併せて2枚組CDに33曲を収録した。英男さんは「父と関わりのあった市民にぜひ聞いてほしい」と、希望者に作詩集を贈る。
片岡さんは、1915年生まれ。ふるさとをテーマにした数多くの作品を残し、「愛郷の人」と呼ばれた。伊万里市と近隣市町の小中高校の校歌や応援歌なども手がけ、今も児童生徒に歌い継がれる。
作詩集とCDは昨年、生誕100周年を迎えたことを節目に「作品として残したい」と英男さんが考え出版した。長く市民の心に片岡作品をとどめてもらおうと、希望者に無料配布することを決めた。
(佐賀新聞HP2月22日)
平成18年3月1日に武雄市・山内町・北方町の3つの市町が合併し、新「武雄市」が誕生して10周年を迎えました。
10年の間、市民一丸で取り組んだテレビドラマ誘致、市民病院経営改革、武雄図書館リニューアル、武雄温泉新館・楼門100周年記念事業、官民一体型学校開校など、新市となっても「住んでいて良かった、住みたいまち」となるよう、市民の暮しに直結した事業を、より良い未来を思い描きながら邁進してまいりました。その結果、「2016年 住みたい田舎ベストランキング」で全国3位になるなど、市外からも多くの方に注目いただいていることは、市民ならびに市に関わる皆様のご協力の賜物であり、ここに御礼申し上げます。
今日の節目はこれまでの軌跡を振り返るとともに、武雄市の未来に向けた出発点でもあります。今後は、新庁舎建設、九州新幹線西九州ルートの開業、ワンランク上の子育て・教育環境の整備など「もっと輝く武雄市」を未来の皆さんに届けていけるよう全力で取り組んでまいります。武雄市長 小松 政
(広報武雄3月号)
ミサワホーム佐賀は鹿島市中心部に、県内初めてという戸建てタイプのマンションなど約40戸を建設する計画を進めている。公園や病院、商業施設などがそろった利便性を目玉に、シニアから子育て世代まで幅広い層を呼び込み、地域の活性化を目指す。
見た目はほぼ一軒家と同じだが、2〜6棟ずつ壁の一部がつながった構造で連なる。区域の入口には玄関機能を担う共有のセンターハウスを設け、中央に駐車場。シニア層を想定し、各戸にモニターで病院と会話できる仕組みなどを検討している。
1月末から販売を始め、同社の担当者は「成熟した地方都市の中心部で、この規模の開発は全国的に珍しく、地域活性化の一つのモデルとして注目されている。今後はほかの地域にも展開していきたい」と話す。
(佐賀新聞HP2月9日)
・小城市のイベントやくらしの情報、マメ知識など2分間にぎゅっと詰まったインターネットがスタートしました。パソコンやスマートフォンで「いつでもどこでも」手軽に楽しむことができます。
ツイッターやラインでも配信していますので、まだ登録されていない方はご登録ください。
・小城市のプロモーションCMができました。「羊羹と鯉料理」という小城ならではのテーマで、印象に残るような演出にしました。出演者は全て小城在住の中高生です。
(小城市HP3月4日)
1月31日嬉野市社会文化会館「リバティ」にて嬉野市制施行10周年記念式典が開催され、嬉野市誕生から10年の歩みを振り返り、今後の一層の飛躍を誓いました。
谷口市長は式辞で「嬉野市誕生から10年間、市民の皆さまの御支援と協力のもと、着実な発展をすることができた」と振り返り、「今後も『歓声が聞こえる嬉野市』を目指してより力強くまちづくりを進めていく」と決意を語りました。
記念表彰や「10年後の嬉野市」をテーマにした絵画・作文コンクール表彰が行われ、最優秀賞は本人による朗読発表もありました。
また、嬉野市出身のクリエイティブディレクター岡康道さんによる「アイデアはどこからやってくるのか」をテーマにした記念講演が行われました。
午後から行われた「音楽・芸能祭〜つなげよう未来〜」では、下岩屋さる浮立をはじめとした伝統芸能や市曲「ふるさとの空よ」を制作した篠笛奏者 佐藤和哉さんによる演奏などが披露されました。ステージの最後に嬉野小学校による市曲の合唱が行われると、来場者の中には歌詞を口ずさみながら涙ぐむ人がいるなど感動のステージとなりました。来場された多くの方から「感動した!」「嬉野市が好きになった」などの声もあり、まさに節目の日を祝うにふさわしい一日となりました。
(市報うれしの3月号)
神埼市が3作シリーズで制作するドラマ風PR動画に、地元出身の女優荒木由美子さんが起用された。神埼そうめんをミステリー風に紹介する「KANZAKIソーメン」、城原川や櫛田宮で繰り広げられる淡い恋物語「プラトニックチェリー」の2作品を、神埼市内で撮影した。赤い服を着た謎めいた女性と、優しい先生役を熱演した。
櫛田宮近くの幼稚園に通い、製麺所でよく遊んだという荒木さんは「まるで私の幼少期を知って作ったような台本。すべてが懐かしく、赤は私のラッキーカラー。芸能界デビュー40周年にこんな動画を残せるなんて」と感激した様子だった。神埼そうめんは大好きといい「一年中ストックしている。おいしさを伝えたい」と話した。
3月に完成させて大阪の映画館で上映するほか、市のホームページ、動画サイトユーチューブで公開する。
(佐賀新聞HP2月27日)
1月24日、25日の両日、西日本を中心に記録的な寒気が流れ込み、大雪となりました。吉野ヶ里町では平野部で10センチほど、山間部で約50センチもの積雪が確認されました。
翌日、町内の小中学校は全て臨時休校になり、まちかどでは、氷点下の気温の中、雪遊びをする子どもが多く見られました。
苔野地区では、近所の子どもたち10人が集まり、大人の手を借りながらかまくら作りに挑戦しました。「スコップで形を整えるところがきつかった」と話すのは井上虎之介くん。完成したかまくらは、子ども2人が入る大きさです。山邉風花さんは「夢が叶って嬉しい」とにっこり話してくれました。
(広報吉野ヶ里3月号)
基山駅そばの基山モール商店街で、フリーマーケット「基山おさんぽマルシェ」が開かれた。町内外から30を超す出店者が集まり、あいにくの雪にもかかわらず多くの人出でにぎわった。
シャッターが下りた店舗が目立つ商店街を盛り上げようと、地域おこし協力隊の岩永紹さんと橋本高志さんらが中心となり実行委員会を組織。県内外から参加店舗を募ったところ、手作り雑貨や焼き物、木工細工、パンなど多種多様な34の出店者が集まった。
普段は人通りがまばらな商店街に人が集まり、露店と常設店舗を行き来する人もいた。同商店街の松尾理事長は「普段は見ない人の数」と喜び「好評であれば商店街主体としても2回3回続けたい。フリーマーケットに出店する人と商店街の組合員が相乗効果を発揮してにぎわいをよみがえらせることができれば」と話していた。
(佐賀新聞HP2月9日)
上峰町は、3月2日2016年度一般会計当初予算案を発表した。総額85億800万円は前年度の当初予算と比べて2・3倍の大幅増。好調なふるさと納税が町税を約7億5千万円上回り、自主財源比率も23・6ポイントアップして73・4%になると予測する。町は「この好機を財政健全化につなげたい」としている。
ふるさと納税は、14年度実績が約40万円だったが、昨年9月から牛肉などお礼の品を拡充したことから寄付者が急増。新年度も本年度並みの約21億円の寄付を見込む。武広町長は「ふるさと納税で自主財源が膨らみ、新規事業に取り組めている部分がある」と胸を張る。
主な事業は小学6年生向けのオンライン英会話を5年生まで拡充する、小学校入学の子どもに入学祝い金を贈るなどで、子育てなどの既存事業にも活用する方針。武広町長は「健全財政を意識して進めていくことに変わりはない。基金などにも積みながら将来に備えていきたい」と話す。
(佐賀新聞HP3月2日)
県道拡張工事に伴い東尾交差点の南に移転・設置された東尾交番の落成式が執り行われました。新しい交番は、外観に千栗土居をデザインし、コミュニティルームを設けるなど、町民がより親しみやすいように考えられています。
式では、古川所長が「より一層みやき町の安全・安心のために尽力する」と決意表明されました。交番がみやき町庁舎と並ぶことで得られる関係団体のさらなる連携により、迅速な行動を行えるという安心感に大きく期待しています。
(広報みやき3月号)
化粧品の原料となる玄海町産の薬用植物「トウキ」の初めての収穫が2月10日、同町今村にある吉田庄一さんの農場で始まった。玄海町薬用植物栽培研究所のノウハウを基に吉田さんが栽培に取り組み、昨年11月にジャパン・コスメティックセンター(唐津市)の橋渡しで神奈川県の企業と売買契約を前提とした覚書を締結した。今後、町内では薬用植物の栽培の広がりが期待されている。
トウキはセリ科の植物で、乾燥させた根に生薬成分があるとされる。数年前から栽培研究していた玄海町薬用植物栽培研究所の指導を受け、吉田さんは昨年3月から栽培に取り組んできた。
研究所の古館園長は「香りがよく主根が思ったより太い。出来は順調。」吉田さんは「除草剤を使わず夏の草取りが大変だった。商品になるのは感無量。引続き玄海町の生産者が増え、特産になれば」と話した。
(佐賀新聞HP2月11日)
有田焼創業400年を記念し、佐賀県造園建設業協会が、李参平の碑のある山の斜面一帯に、ジョウモンアラカシとイロハモミジ計約400本を植樹しました。式典には山口隆敏町長をはじめ、事業関係者や町内緑の少年団などが出席。参加者は「今後この地が有田の名所になれば」と話されました。
(広報ありた3月号)
地域づくりの専門家が町を歩き、活性化プランを提案するプロジェクトが2月28日から3日間、大町町であった。街づくりカウンセラーら2人が町内の観光資源や魅力を確かめ、炭鉱の名残りが残る昭和の町並みを生かした観光プランや、パワースポット巡りを提案した。
県の「自発の地域創生プロジェクト」の一環。街づくりカウンセラーで東京の青梅などへ提案活動した今村まゆみさん、日本特産品提供協会理事の塚田佳満さんが訪れた。二人は商店街や炭鉱の名残りがある住宅街、トンネル跡、神社や寺などを回り、町の歴史や現状を聞いてプランを考えた。
役場で開かれた報告会では、今村さんは炭住街やトンネルを「吸い込まれるように入ってみたくなる場所」と関心を寄せた。昭和を感じる炭住街や炭鉱関連遺構を巡る企画や、福母八幡宮や西福寺を回るパワースポット巡りを提案し、「ネットでつぶやく20〜30代を対象にしよう」とターゲットもアドバイスした。
塚田さんは①炭鉱関連の歴史的資産②国道34号の交通量の多さ③個性ある商店主を地域資源とし、登録制の「大町サポーター」に情報や特典を提供して町内外にファンづくりを進めることを提案した。
報告会には県や町、商工会の職員、町おこし関係者ら30人が出席。〝そとの人〟から見える町の魅力について再認識していた。
(佐賀新聞HP3月3日)
2月の町長選で初当選した山田恭輔町長が3月1日、初登庁した。山田町長は「融和」「会話」「経営」の三つを町政運営のキーワードに掲げ、町民生活のさらなる向上に力を尽くすことを誓った。
職員約90名から拍手で出迎えを受けた山田町長は「町民からの期待と、田中町政を引き継ぎさらに発展させていくことに緊張している」と述べた。その上でコミュニケーションを取って組織の一体感を出し、「株式会社江北町」を経営する視点を掲げた。
(佐賀新聞HP3月1日)
佐賀県初の女子プロ野球選手となる大串桃香さん(戸ヶ里)が役場を訪問して、入団の報告を行いました。
大串さんはストレートでコーナーを突く投球が持ち球のピッチャー。お兄さんの影響で小学生の頃に野球を始めて、中学生では武雄市の硬式野球チーム「ザスパ武雄」で活躍し、高校は京都府の福知山成美高校へ進学。2014ワールドカップの日本代表候補にも選ばれました。
町長は「体力が資本。怪我がないように長く活躍してほしい。サッカーの澤選手のように女子野球のパイオニアになれるよう期待しています」と激励しました。年明けには宮城を拠点とする球団への所属が発表されました。
(広報白石2月号)
1月2、3日竹崎観世音寺修正会鬼祭が同寺で行われ、生命の再生と新年の五穀豊穣を祈願しました。
3日は、太鼓と鉦が打ち鳴らされ、行列が、参道の石段を駆け上がり観音堂へ駆け込みました。
堂内では院主の法要や太鼓経、魚笠に白いお面を身に「フレイ経」を演じました。
舞台を観音堂に移し大聖棒の打ち切りが行われ赤着物に白い締め込み姿の鬼副が、法要により清められた大聖棒の束を頭上まで持ち上げ、力強く観音堂の床で打ち切ると、縁起を求める観客が我先にと大聖棒を取り合いました。
奈良時代から行われている竹崎観世音寺修正会鬼祭は、国指定重要無形民俗文化財に、また、祭りのなかで演じられる童子舞は佐賀県重要無形民俗文化財に指定されています。
(町報たら2月号)
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